奇 禍
 〜大戦時代捏造噺

  


 腹一杯の米の飯を食わせることをのみ報酬に、秋の実りを略奪しに現れる野伏せりの一団を退治してほしいという。そんな無茶な条件で侍を集めようとした申し出は、欲をかかぬ人手を求めたものか、それとも。多くは望まず仁に厚き、人品卑しからぬ士をこそと欲したか。思惑のうちをそこまで読んでもなお、キララたちからの依頼へ当初はなかなか頷首しないカンベエだったと聞いて、

  ―― さもありなん、と

 くすぐったげに微笑っていたのが、虹雅渓にて追われる身となった揚げ句に頼った“蛍屋”にいた、シチロージという幇間で。大戦中はカンベエの副官だったという彼は、遊里においても目を引こう、金髪長身の抜きん出た美丈夫であるばかりじゃあなく。言の葉には乗せねどもその風情へと滲み出すよな、人の繊細な気色を酌めるほど、情というものにもよくよく通じたお人であるらしく。野伏せり憎しと血気に逸るばかりの村の衆らと相対し、相手を殺したいとまで思い詰めての怨嗟にて、その手をその心を穢すことの恐ろしさを判ってはいないうちはと、出来れば引き留めたかった御主ではなかったのだろか…と。そこまで攫っての苦笑を見せてから、

 『このアタシを…居場所まで知っておりながら誘ってもくれず、
  どうかすると素通りして行きかねなかったほどのお人ですからねぇ』

 お優しいからこそ小狡いあれこれに長けておいでの、そういうところも昔から変わらぬお人と言ってのけ。その傍から何年も離れていたにもかかわらず、きっちりと補佐し切れるだけの呼吸も忘れてはおらぬ身。すったもんだの末に辿り着いた、主戦場となろう神無村にて、その手腕は見事なまでに振るわれる。腹をくくってからの軍師殿の采配は、迅速かつ即妙で。個性豊かな侍たちを適材適所に振り分けての、戦闘準備を構えさせたる、それはそれは手際のいい陣頭指揮を執られたものの。個性豊かと言えば聞こえはいいが、それぞれに癖のある侍たちを相手に。踏み込まれたかないようならば限度をわきまえての接し方を心掛け、一や二だけを仄めかせば十まで心得て下さる方にはそれへと甘えることで頼り。褒め言葉も叱言も判りやすく言わねば通じない若いのへは、面倒でも三度に一度は丁寧な物言いにて舵を取ってやり…と。統括で頭が一杯になりがちな惣領殿と彼らをつなぐ、いわば“緩衝役”を買って出たのもまた、元副官殿であったりし。そうして、絶妙なまでに粒ぞろいな顔触れによる、いかにも突貫、されど周到な準備を整え。頑健強固な機巧躯ひけらかして押し寄せるのだろ、数十機もの野伏せりたちへ対抗するべく、臨戦態勢を整えていたそんな中、


  ―― ちょっとした騒ぎが秘やかに勃発した。




        ◇



 荒野の縁にありながら、豊かな湧き水に恵まれた米処。せせらぎの多い土地柄なせいか、朝晩の涼しい頃合いには日によって霧が垂れ込める。今朝もまた、頬にひやりとする感触の霧がうっすらと、黎明の白を吸っての村を覆っているらしく。そんな中を主村落まで戻って来たそのまま、自分たちの拠点として供された古農家へ足を運べば。寒村のそれにしては拵えが大きめで頑健、長く空き家だったらしいというのに修理の必要がなかった家屋は、あまり明るいとはいえぬがそれでも火を絶やさぬ囲炉裏のせいでか、空気は乾いて心地よく。入ってすぐというところへ明けっ広げになっての広がる板の間には、いつもの位置にいつもの白い砂防服の影があって。立てつけの悪い引き戸の音にてだろう、こちらを見やっておいでだったものと視線がかち合い、騒がせましたかすみませんとの会釈の目礼を差し上げつつ、上がり框の縁まで足を進める。

  ―― 容体の方は いかがで?
      うむ。よく眠っておる。

 わざわざの言の葉を交わさずとも、そのくらいは通じる二人であり。そんな彼らが揃って見下ろしたのが、綿の擦り切れたせんべい布団へ横たえられた、一人のお仲間の静かな寝顔へ。普段は隣りの居室に広げる衾をわざわざこちらの間へと持ち出したのは、彼が看取りの必要がある状態にあるからで。黎明のまだまだ淡い明るさの中、ほわりと浮かぶ白いお顔の、目許を覆う白い包帯が何とも痛々しい限り。

 「キュウゾウ殿だったから、この程度で済んだようなものですけれど。」

 何でも、以前から村を監視していた“張り役”というのがいたそうで。野伏せりが手配していた連中で、馴れ合いを恐れたからか直接接する機会は殆どない輩。その頭目らしいのを、ちょっとした成り行きから若いのが斬ってしまったのが先の晩。本陣との連絡も担っていた彼が不意に姿を消したことで、下っ端らがやおら焦ったらしくって。村の活気づきようも尋常ではないと見て取り、後ろ盾を失ったことで大いに動揺していた彼らは、哨戒中だったキュウゾウと夜陰の中にて遭遇してしまったその拍子、とんでもないものを撒き散らかしてくれたのだ。(参照;『
月夜の烏』、『山颪、明けた朝』)

 「よくもまあ、落ち着いた対処が取れたものですよ。」

 戦闘に慣れぬ手合いが、遭遇した敵から逃げ出す折の煙幕代わりにでもと持っていたらしき“目潰し”の薬剤。哨戒中に遭遇した彼らからそれを投じられ、まともにかぶってしまった双刀使い殿であり。突然襲った激痛をそれでも耐えての、患部へは触らずにいた対処のおかげ、物理的な傷はなく済んだけれど。特殊な加工をしてあった品であったがため、その作用で手足がしびれてしまった彼をば、とりあえずは様子見にと寝かしつけたのが昨夜のこと。

 「手を焼きはしませなんだか?」
 「なに、大人しいものよ。」

 もしやして天の住人かとさえ思わせるよな、それはそれは柔らかな金の髪に、やはりやはり天女もかくやと偲ばせる、均整の取れた細身の肢体と、怖いくらいに整った容貌。だってのに表情薄く寡黙が過ぎての、どこかしら薄情そうにも見えるのが。根っからの気性かどうかも判らぬくらい、まだまだどこかで一線引いての遠巻きにいるような風情のするキュウゾウであり。まだまだ懐いては下さらぬが、それでも案じて傍についていようとしたシチロージだったものを。もっと要領の要るだろう作業場の方へと向かわせて、その代わりにとカンベエ自らが看取っており。様々な事情や成り行きで集うこととなった侍たちのうち、村の窮状も野伏せり相手の合戦もさしおいての、カンベエ自身との立ち会いをと望んでついて来た彼なのだという経緯はシチロージも聞いていて。ならばとお任せしはしたものの、
「着替えさせたおりに、随分と暴れて下さったので。カンベエ様を相手に刀を抜かぬか、それが少々案じられまして。」
 毛を逆立てての警戒心を隠そうともしない、まるで手負いの獣のようだったキュウゾウを、二人掛かりで宥めすかして何とか横になっていただいた昨夜だったこと、思い出しての苦笑を零す古女房であり。冗談めかした物言いと判っておればこその、馬鹿な戯言をという苦笑を返したカンベエではあったれど、


  「眸が…視覚が不自由になるというのは、そうまで不安なものなのか?」


 ふと訊いた口調が、少しばかり真摯なそれであったので。依然として眠り続けるお仲間の寝顔、こうしていると可愛いものよと見下ろしていたシチロージが、そんな語調を感じ取って…その表情をあらためる。

 「カンベエ様?」

 覚えがある者への訊きようと、すぐにも知れた声音であり。とはいえ、こちらこそ言われなければ思い出せなかったほどの昔の、しかもささいな一件。なのに覚えておいでだったことこそが意外でそれで。ちょっぴり懐かしいものを指先でそおと撫ぞる折の、胸に沸き起こる擽ったさになぞ、

 “相変わらずに無縁でおわすお人だろうと、思うておりましたのにねぇ。”

 あの頃とはすっかり身なりが変わったお互いであることが、そのまま示しているもの。それぞれが辿った歳月も経緯も、全くの別な二人であったというのがありありと察せられ、それが少々歯痒くもあった。蛍屋にいた自分だと知っていながら、会いにさえ来てくれなんだ薄情なお人。もう私なぞ必要とされてはいないのだろか。いやいや、優しいお人だ、戦さの残滓を拭い去れぬ自分へはかかわるなと思うてのお心遣いよと、何も言うてはくれぬ御主の御心、自分で自分に言い聞かせ。それだとしても今度こそは聞けませぬと、何も言われぬままについては来たが。

  もはや命じる立場にはないから、
  それでもと進んで尽力してくれるのならば応じようとか。
  そんな魂胆あっての上で、直接請われはしなかったというのなら、

 “狡さにも相当に磨きがかかっておりますねぇと、
  つまらぬ杞憂を笑い飛ばして差し上げたものを。”

 様々な想いをその錯綜ごと呑んでのここまで生きて来た、その心の尋の奥行き深い御主様。悪い言い方で微妙に屈折していての頑迷なだけなら、いっそ可愛げもあったのに。そんな気配さえ零さぬ、相変わらずに凛と矍鑠
(かくしゃく)としたお背(おせな)が、懐かしいけど恨めしくもあった。何でこの人は いつまでもこうまでも強いのだろか。そして、だからこそだろ 哀しいお人なままなのだろか。弱い者の弱いからこその なりふり構わぬ醜ささえ理解してしまわれ、されどご自分は強いまま。弱いところのないままに、何でも負って何でも呑んでしまわれて。

 “お優しいところまで、あの頃とまるで変わっておられぬのですものねぇ。”

 これでは“ついて来るな”と言われる方こそ、無理な相談じゃあありませぬかと。胸底にむず痒い甘さを感じ、ついつい零れる苦笑に苦慮した古女房だったりしたのである。






  ◇  ◇  ◇



 あれは、七郎次がまだまだ伸び切らぬ髪を何とかうなじに束ねていた頃のことで。丁度、今頃よりもまだ夏の暑さのほうが勝
(まさ)っていた時期だっただろか。そうそう、勘兵衛様の今と変わらぬ蓬髪を、何とか束ねて差し上げようと、櫛もて虎視眈々と狙っていたほどには、気心も知れて来始めていた頃じゃあなかったか。

 北軍の南方○○方面支部は、結構な人員を配置されていたがため、執務棟と兵舎こそ何とか1つところへ確保出来たが、訓練場に資材庫、滑走路に整備格納庫などなどは、近辺のあちこちに分散させており。機巧躯を持つ隊士を抱えた部隊なぞ、到底在留は不可能なところから、ひところは片田舎の左遷先のような扱いさえ受けてもいたらしく。それが、ここ数年の空艇部隊の目覚ましい活躍で、息吹き返したかのように活気づき。忙しくなってかなわんと言いつつも、無為に過ごして来た日々の鬱屈はすっかりと晴れた工部の皆様がたからも、島田隊の所属だというだけで愛想よく構っていただけるほど。各地の戦域にて、難しい先鋒を引き受けての勇壮果敢に斬り込み、撤退の折には死兵を出さずに血路を開く妙を評価され、あちこちから引っ張りだこなお陰様、戦闘機である斬艦刀へも綿密なメンテナンスが必要だからと、資材の融通も昔とは比べものにならぬほど迅速に通される待遇が、関わる他部署の者らの士気へまで明るい覇気を広げる効果を為しており。

  だからして。決して気の緩みから起きたことではなかったらしいのではあるが。

 地味にと構えたそれなのか、真新しいはずなのに濃灰色なんてな渋い色みで統一された、資材倉庫のスレート屋根。その輪郭を曖昧にするほど、随分と暗い鈍色の雲が西の空を覆っており。同じ曇天でも、東の空はまだまだ白々と明るく。そんなせいでか、重たげな雲の真下のあれこれが、芝居の書き割りみたいにくっきりと浮き上がって見えたのが、妙に異様な光景で。これは大荒れの天気になるのじゃないか、雷でも落ちたらコトだから、電気系統の使わぬ回路は、スイッチだけじゃあなくケーブルからして切り離しておけよと。そんな指示が飛び交っていた矢先。どんともずんとも言いようのない、地響き伴う重々しい轟音が鳴り響き。どこからのものかと物見の当番が見回した中、整備用の格納庫のスレート屋根の一角が、ところどこからマグマの覗く熔岩流のような、黒い煙をまとった火柱を吹き上げているのを確認し。
「な…っ。」
 軍人ばかりが居合わせていたにも関わらず。一瞬、全員がその場に釘付けとなってのそれから、支部内は奇襲を受けたかのような、上を下への大騒ぎに見舞われた。さすがに対処は迅速であり、南軍かかわりの悪意や企みあっての爆発だの、信じられないような不手際から招かれた込み入った失火でもなかったことがせめてもの幸い。単純な漏電と、それが備蓄燃料槽の一角へ引火して起きたという代物だったという詳細もすぐに知れ。死者は出ずの、施設も復旧可能な程度で収拾しはしたのだけれど。



 「負傷者は20余名のみ。
  主には工部の者らで、大半が飛来物による擦傷か打撲といった軽いもの。
  火の元間近にいての重傷者もおりますが、回復の見込める容体です。」

 軍靴を鳴らしてのかつかつと、急ぎ足で回廊を進む上官に遅れまいぞと必死で従いながらの書記官からの報告へ、
「痛みを負うた者がおるのに、それで幸いと片付けたそうな言いようもなかろうが。」
 苦々しげなお顔ですげなく応じたのは、今日に限って単身で補給地まで出向いていた、空艇第二小隊の隊長殿。その迫力に怖じけたか、うっと押し黙ってしまった庶務課の担当官だったのへ、ああこやつに当たっても詮無いのだったと悔いたけれど、わざわざ取り繕うのも忌々しくて。そんな苦渋ごと踏みにじるかのよに、なお一層足取りを速める。着替えもせでの白い外套をひるがえしたままという雄姿が突き進む先は、やはり負傷を負った面々が手当てを受けているのだろ、独特な匂いの滲む療養棟の一角であり、

 「おお、島田殿。」

 丁度診察を終えたところか、学舎の廊下でも想起させそうな明るく閑とした通廊へと出て来たばかりな、白衣の壮年殿がこちらへと気づいて下さって。
「選りにも選って、そちら様の隊士がこんな事故へ紛れ込もうとはの。」
 場所が格納庫とあっては巻き込まれる可能性がないとは言えぬが、それでもよほどに間の悪かったことよと眉を下げてしまわれたのへ、
「それで、容体のほうは?」
 一足飛びに問われる気の急きようへ、おやおやと目を見張ってのそれから、
「何だかだ言うよりも、当人に会われるといい。」
 それが一番早いし、ご理解ご納得もいくでしょうと。何だか…微妙に遠回しな言いようをする軍医殿。そのまま奥向きへと進まれる、初老の御仁の小さめな後ろ姿へと従うと、さして離れぬ病室の、引き戸の前へと立ち止まる。曇りガラスのはまった小窓の辺り、軽くこつこつと叩いて見せれば、

 「はい。」

 案外とはっきりした声が返って来たのが、勘兵衛の耳にもはっきりと拾えた。扉周辺を見回せば、安静を喚起するよな札も見当たらず。ああ案じたほどひどい状態ではないらしいなと、胸を撫で下ろした隊長殿の鼻先で、すべりのいい引き戸がガラリと引き開けられたのだけれど。

  ―― え?

 戦さ場にての、果断にして勇壮な、猛々しい雄姿を謳われて久しい“北軍
(キタ)の白夜叉”が、思わずのこと息を引くほど驚いて見せた。本陣都市のそれに比べれば物資も粗末なそれなりに、清潔な寝具や何やを揃えた清かに明るい病室の寝台の上。横になっていずともいいのか、上体を起こしていた寝間着姿の彼こそは。束ねぬ金絲を少ぉしなだらかな肩先に散らした、色白長身のうら若き隊士。勘兵衛の傍らに常に離れぬ副官の、七郎次その人に間違いないのではあるけれど。賢そうな額とすべらかな頬とに馴染んでの白い包帯が、幾重にも巻かれていたところというのが……玻璃玉のように清かに青い、表情豊かな瞳が座っているはずな、その目許のぐるりだったものだから。

 “な…っ。”

 傷口開いた生々しさこそはなかったが、静かで清かな様子であればあるほどに、それに劣らずの何とも衝撃的な姿であることか。線の細さをなお儚く見せての痛々しさと、それでも健気にも頭を上げている様は、歴戦の武将として知られた勘兵衛をしても、言葉に詰まっての戸口へと凍りついてしまったほどで。置物のよに固まってしまった勘兵衛へ、続いていた書記官は困ったように言葉を出しかね、軍医殿は軍医殿で、逆に面白がってか黙って静観しておいでだったそんな中。奇妙な沈黙を真っ先に破ったのは、

 「…勘兵衛様ですか?」

 視線をどこへ据えていいのかが判らぬのだろう、それでも戸口のほうを何とか向いた、寝台の上の七郎次。その、半日ぶりに聞く声にハッとして、何かしらのまじないから解かれでもしたかのように踏み出した勘兵衛が。先程までのいかにも勇んでいた歩みを忘れ、ゆっくりと歩みを運ぶのを聞いていた副官殿。いつになくゆっくりとしたその歩調へもどかしく思ったものか、じっと小首を傾げていたものが、まだ至らぬうちから手を伸ばして見せたので、
「…っ。」
 目測を誤り、前へ傾しいだそのまま、寝台の外へまで転げ落ちるのではないかと危ぶんでのこと。弾かれたように駆けつけた勘兵衛、まだまだ自分よりも一回り以上は小さなその身を懐ろへと抱き込めば、

 「あ、や、あの…。///////」

 焦れて見せたむずがりはどこへやら。唐突に身に迫って…どころじゃあない、すっぽりとくるみ込んで下さった男臭くも雄々しい胸元の感触へ、今度はあわわと慌て出す七郎次だったりするのが、傍から見ている分にはおかしなもので。畏れ多くも上官様に危ういところを受け止めていただきましてという、恐縮からだけではなさそうな頬の紅潮、微笑ましげに眺めていた軍医殿、

 “いやはや、お若いお若い。”

 くすすと笑い、その気配にて…しっかと抱き合う格好になっていたお二人へ、傍観者がありますよという注意を促してのそれから、
「美男は目許を隠しても美男ですな。」
 お軽い言いようをなさったあたり、さほど深刻な症状だということでもないのだとの前置きを下さったようなもの。それへと安堵しかけた勘兵衛だったが、
「横になっておれと何度言うても聞きませんでな。今はさしたる痛みもないかも知れないが、結膜に軽い炎症を起こしておいでだ。」
「結膜?」
 ちょっとした怪我くらいなら、医者の言うことを聞かぬ跳ねっ返りは今更の彼だが、こうまでの処置をされているからには意味のないことじゃあるまいに。だというのに、成程…身を離した勘兵衛の温みを慕っての追うてか、いやさ、お迎えが来たのだから帰るということか。寝台からそのまま降りて来かねぬ彼でもあって。それをば押し止めるように、二の腕あたりを軽く掴んでいてやれば、
「…?」
 どうしてですか?と問いたげなのだろ、お顔を振り上げて来るのだが。
“今のその顔では 狡くはないか?”
 目は口ほどに…とはよく聞くが、その目許を蓋がれている痛々しさが、常以上にお顔やら風情やらから線の細さを強調しており。口で駄々をこねられるよりもずっと、胸へ堪えてしょうがなく。そんな風貌であることを示唆されるのを、一番に嫌がる彼だのにと思えば尚のこと、そんな顔をするでないとも言えないところは、ある意味、まだまだ若輩な勘兵衛様だったりし。そんな二人の無言の押し問答、見て見ぬ振りして、軍医殿は言葉を続け、

 「体の方へは打撲が幾つか。
  それを差しての“大したことはない”と言うておいでだが さにあらん。
  どうやら閃光を故意に睨んだ節がおありなので、
  そんな無茶が祟っての、雪盲に似たような症状が起きておいでだ。」
 「故意に?」

 問題の爆発事故が起きたおり、七郎次はというと愛機である斬艦刀の新しいスペックへの説明を受けにと、執務棟から離れたところの格納庫へと向かっており。その途中にある資材倉庫で、搬入物資の確認というお仕事を手伝っていた、幼年学校からの小さな後輩たちからお声を掛けられた。こらこら真面目にあたらぬかと、言いつつもお顔は笑顔でもって、何か困ったことでもあったものかと歩み寄りかかっていたところへと、突然起きたのが件
(くだん)の爆発。資材倉庫の内部から立ち上った火柱は、何への引火かそりゃあ目映い閃光を伴ってもいて。嵐のような爆風が巻き起こりもしたほどの規模のもの。誰しもが咄嗟に顔を庇いの目を背けたところを、

 『鷹丸っ、千之助っ!』

 自分が駆け寄りかけていた二人ほどの下級生たちを、あの咄嗟に、だからこそ見失うものかと思ったらしく。彼らが立っていた…雷電級の機巧躯侍でも容易に出入り出来そうな鉄扉を、くしゃりとへしゃげたほどの爆風の中。吹っ飛んでゆきかけていた小さなお友達を、必死で見定めてのその腕の中へと掴まえてから、その場を退いた彼だったがために、

 「結膜に、焼きつきとまではいかぬがそれでも結構な炎症が起きている。
  今は少しほどヒリヒリする程度かもしれないが、
  時間が経っての晩にでもなりゃあ、
  涙が止まらずの痛くて痛くてたまらない症状が出ようぞと、」
 「さっきから脅してばかりなんですよ、惣右衛門センセイ。」

 故意に不躾を装って、医師殿の言葉尻を引ったくり、もう何度聞かされたことかという辟易を示して見せる。雪盲の怖さは、北領出身の彼だからようよう知っている。だが、長いこと晴れた雪原を歩いていて起きる程度の症状だという先入観が強く、
「そうだとしたって、一晩寝れば収まると言いますし。」
「馬鹿もの、門外漢のお主に何が判るか。」
 途轍もない閃光といっても一瞬しか晒していないから大丈夫だと? そんなことがどうして、患部を見てもいないお主に判る。それに、目は単に視覚を担当しているだけじゃあない、人の五感の中でも最も頼られているところだけに、体のバランスを取るにも、耳の三半規管にも匹敵するほど実は大きに関係しており、それをいきなり奪われては、どんなに勘が鋭くたってそうそう簡単に日常のあれやこれやがこなせるものじゃあない。

 「どこに居ようと どうせ大人しゅうしていなければならぬのだ。
  ならば此処で、堂々と横になっておれと言うに。」
 「落ち着けないから嫌なんですってば。」

 いまだ腕を捕らえたままな勘兵衛の方をと、大体ながらも再び見上げ、

 「何も出来ぬのではお邪魔でしょうが、
  お願いですから部屋まで…執務室まで戻らせて下さいませ。」

 ただでさえ、ただの箔づけ護衛だ連れは要らぬと言われて。支部長のお供でお出掛けになるのを見送ってのそれからを、そりゃあそりゃあ長い半日として過ごしてた。お帰りは夕刻か、支部長次第でともすりゃ明日になるやも知れぬと、曖昧なことを言い置かれたを、なんて憎たらしいことかと歯咬みしてしまった思い上がりへの、これは罰が当たったものだろか。こうして間近に戻って来て下さったのに、やっと戻って来て下さったのに。その勘兵衛様までもが養生せよと仰せでしょうかと。今はこちらからもすがるようにして掴んだ上着の、堅い腕へとついつい爪まで立てており。置いてかないでとの意思表示、何だったら目許を潤ませてでも頑張れるのに なんてまあ歯痒いことかと、本末転倒も甚だしい想いに唇を歪める彼なのへ、

 「そうは言うが。惣右衛門殿の言うことに間違いはないと儂も思うぞ?」
 「…そんな。」

 お主の容体が変わったら、儂では何ともしてやれぬ。無論のこと、此処へと一目散にかつぎ込んでは やろうけど。ならばいち早く対処を取ってもらえようこの病棟にいた方が、1分1秒でも早くに手当てをしてもらえように…と。極めて冷静なお言葉を返される勘兵衛様であり。そちら様とて、心から案じていてのお言いようだってのに。そして、日頃の彼ならば、そのくらいは聞き分けも出来ようはずだろに。不安だからこその駄々をこねての食い下がっている七郎次。すがりった袖を掴んだままの手の甲に、力が籠もっての筋が立ち、


  ―― そうは仰有いますが。
      何だ。


 「勘兵衛様、爪切りが何処に仕舞ってあるのか御存知ですか?」
 「? 爪切り?」
 「軍靴の中敷きの替えは? マッチの買い置きは何処だか御存知ですか?」
 「そんなもの、今日明日のすぐには要らぬ。」
 「階級章の肩章と胸章、時々間違えてもまあいっかで済まされるじゃないですか。
  鉢当てだって、時たま上下を逆に回しておいでだ。
  あと、灰皿の火の気を確かめないでごみ箱に捨ててしまわれて、
  いつぞや とうとうぼや騒ぎを起こしたことがあるって征樹殿が…。」

 止めねば何処まで続くものかという あげつらいへ、純粋に案じていたはずの勘兵衛がさすがにその口元をへの字にひん曲げ、

 「…七郎次。お主、上官の揚げ足取って楽しいか?」
 「何が楽しいもんですかっ。」

 自分が居ないと不都合だ不便だと言ってほしい副官殿と、ほんの数日なら我慢出来るから、何も案じずに養生しなさいとしか言えぬ、こういうことへはまだまだ気の回らない隊長殿と。なんてまあ可愛らしい痴話ゲンカを始める人たちだろかと。退出のタイミングを逃した書記官殿は、唖然としてから…居心地悪そうにもじもじし始め。惣右衛門殿に至っては、善哉善哉と苦笑が止まらず、そんな書記官殿と連れだって、とっとと外へと出て行かれる。

 “この年で馬に蹴られてはかなわんからの。”

 確かに、付き合っていてはキリがない。まま、勘兵衛がこの手のことで押され負けはせぬだろうから、せめて消灯時間までは二人きりにしといてやろうぞと。もしかせずとも最初から、そのつもりでおいでだったらしき軍医殿であり、


  ―― 包帯を取るころには紅葉が始まっての眼福が待っておろうぞ。


 え〜〜? そんなにかかりそうなのですか? そうともなると、勘兵衛様の側もまた、我慢出来ないかもですよ?
(苦笑)








   おまけ



 ごちゃごちゃと押し問答をしていたものの、はっと気づくと軍医殿の姿がないと。はてさてどのくらい経ってから気がついたものか。自分たちの晒していた醜態へも気づいたものか、ダメなものはダメとの一言でとりあえずの決着はつけ。その代わり、今日は執務もないことだからと、望むだけ此処に居て差し上げようとのお言葉を掛けて下さった御主であり。……最初っからそう運びゃあいいのにねとは、この際は言わないであげて下さいませ。
「ほれ。ちゃんと横になっておれ。」
「〜〜〜。」
 まだまだ不満は尽きないらしいが、そうそう駄々ばかりこねていていい相手でなしと、そこはこちら様も気がついての…それでも十分に不承不承という態にて。覚束ない様子で衾の中へと戻るのを、目測がつかぬ頭をヘッドボードにぶつけぬか、向こう側へと転げ落ちぬか、やっぱりはらはらとして落ち着けず。これもそのままだった黒革の手套を外しての、双方へと六花が描かれた手を伸べてやり。丁度の真ん中へ導いてやって、肌掛けの薄いのでくるんでの覆ってやれば、

 「七郎次?」
 「…。//////////」

 用の済んだ間合いをはかり、引っ込められようとしたところを、はっしと捕まえた勘はなかなかに大したもの。そのお姿が見えぬのですから、せめてこのくらいはお情けを下さいましということか。持ち重りのするほど大ぶりな勘兵衛の手を、捕まえたそのまま、自分の頬へと添わせるささやかな甘えようがまた。今の彼の姿には、いっそ罪なほどに痛ましく。勘兵衛の側にしても、どうせ払いのけるつもりなどなかったこと。色の薄いその頬へと伏せられた、自分の手の濃色が随分と異種な存在に見えはしたが。目の詰んださらりとした柔らかな肌は、相変わらずに心地よくての離れ難くて。彼の方から求めたこと、誰に遠慮がいるでなしと、互いの温みが等しくなっても、離れぬままの触れ合うたままに。

 「ところで。」
 「はい?」
 「さっきはどうして、その…儂だと判ったのだ?」
 「何がですか?」
 「だから。」

 惚けているのではなくの真剣に本気で、何の話だか判っていない七郎次へ。いつもの察しのいいのが出ないのも、こちらの顔が見えぬからだろかと妙な納得を持って来ながら、

 「此処への引き戸を開けたおり、
  名乗ってもおらなんだうちから、儂だと先に気づいたであろうが。」
 「あ…。」

 あまりの姿へ気を呑まれ、声さえ出なんだ勘兵衛を、だってのにそれと判った彼だったのは何故なのか。そんなにも賑やかしく訪のうたつもりはなかったのに、不思議な、そう察しのよさが出たのはどうしてかと問えば、

 「だって、匂いがしましたもの。」
 「匂い?」

 うふふとどこか嬉しそうに微笑って口にした七郎次だったものだから。おや、それってと。精悍で野性味溢れる男臭い匂いにて、勘兵衛のことを把握していた彼なのだろかと。自分はまだまだどこかしら蒼い青少年の域を抜けぬ身だからして。夜毎 その双腕に掻い込まれている年上の情人の香り、ちょっとした憧憬混じりに意識していた彼だったから、それだけで判ったのですよとでも言いたいものかと…。だとすれば、何のかのと一端なことを言っておっても可愛いものよ思っておれば。

 「はい。こんなにも煙草の匂いがなさるお人は、そうはいません。」
 「〜〜〜。」

 屈託なく微笑った副官殿だったけど、今だけは勘兵衛様のお顔が見えなかったの、幸いだったと思わねば…なんて。ついつい感じてしまった筆者だったのは此処だけのお話。早く元気になって、禁煙大作戦、ぜひとも講じてあげて下さいませです。





  〜Fine〜  08.8.29.〜8.30.


  *同じタイトルの話がありますが、シリーズ違いますのでご容赦を。
   それと…開き直っての“儂”設定の若カン様です。
   私ではやっぱ違和感あるし、
   さりとて“俺”というほど青二才でもないだろし。

  *これもまた、最初に思いついたのは最後のオチの、
   『見えなくとも煙草の匂いで分かりました』
   このフレーズでございまし。
   何かここんとこ、
   こういうパターンで書き始めるお話が続いてます。

   負傷してとか、
   一時的に目が不自由になってしまうからこそのネタですが、
   あれれぇ? そんな状況、もう書いてなかったか?
   ……久蔵さんが目潰し喰らったの、うっかりと忘れ去っておりまして。
   慌てて読み返したら、
   まだあんまりおっ母様に懐いてないキュウさんなのが新鮮でしたし、
   そのシチさんの口調も、えらいことちゃきちゃきしゃっきりしていて、
   何でまた こうまで偏ったもんだろか。
(笑)

   それはともかく。
   あんまりシチさんへばかり“匂いネタ”を使ってるもので、
   たまには勘兵衛様の匂いで萌えてもいいじゃないかと思ったのですが。
   ……ウチの若カン様、ヘビイ・スモーカーだって設定なんでした。
   いやいや、銘柄によっちゃあ悪い匂いじゃないとも思うんだけれども。
   ケントとかなら好きですよ? ええvv
   加齢臭がするより前には辞めたほうがいいかもですね。
(おいこら)
   (NHKアニメだったからか、あんまり愛煙家は出て来ないお話でしたね。
    テッサイさんも煙管こそ咥えてはいましたが、火はつけてなかったような。)
(苦笑)

めるふぉvv めるふぉ 置きましたvv **

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